礼拝アーカイブス

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2016年12月の礼拝

陽暦2016年12月18日


天一国食口礼拝
天一国四年天暦11月20日 (陽暦2016年12月18日)

主礼:佐保田暁夫教会長
「 家庭祭壇の恩恵 」

「 天一国經典 真の父母經 P428-1・P1502-7 」

お父様は、韓国全土の山河をすべて回ってみました。一九六〇年代に皆さんを全国各地に配置して、全国の名山をすべて踏査してみたのです。統一教会の錨(いかり)をどこに下ろすか、この基盤をどこに築くかを念頭に置いて、踏査しました。良い場所は、必ず湖を挟んでいなければなりません。しかし、東海岸はソウルからあまりにも遠いのです。西海岸は都市が集中していて、干満差が非常に激しく、海水が引けば干潟になり、また泥水なので良くありません。ソウルから(車で)三十分くらいの場所を探し求めたところ、雪岳面の松山里を選ぶことになりました。その地域は本当に素晴らしいのです。私が清平地域で最も良い場所に定着したのです。(P.428-1)

皆さんは、天国に行くのが大変でしょう。私が皆さんに責任をもつことはできません。(ですから、)教えてあげてから逝くのです。そして、服でも何でも、もっていた物をすべて広げて、分け与えてから逝こうと思います。私が残すものは、遺物とみ言です。実体は霊界に行きます。皆さんはどのようにして付いていくのですか。遺物とみ言が梯子です。私が愛していた以上にその物を愛し、そのみ言を愛し、実体を愛さなければなりません。そして、家庭を愛し、国を愛し、天地を愛さなければなりません。(P.1502-7)



陽暦2016年12月11日


天一国食口礼拝
天一国四年天暦11月13日 (陽暦2016年12月11日)

主礼:佐保田暁夫教会長
「 家庭連合と天宙的祝福の時代 」

「 天一国經典 天聖經 第十二篇 礼式と名節 第四章 祝福家庭の生活儀礼 第一節 祝福家庭の生活法度 P1214~1215 」

祝福とは、責任を果たしてこそ貴いものなのです。この世的な悪口を言ってはいけません。世の中の人たちとは、何かが違わなければなりません。家庭は小さな教会です。神様の代行機関として、神様が訪ねていきたい家庭にならなければなりません。最低限、三家庭が一緒に暮らす以上に結束しなければなりません。特別に伝えてあげたいことは、第一に、多くの人々が往来できる家庭になりなさいということです。人が和合することが最も重要です。そして、第二は天の家庭同士、団結しなければならないということです。最低限、三位基台になった祝福家庭同士だけでも、完全に一つになるべきです。

私たちは、個人中心ではなく、家庭中心です。だからと言って、家庭だけを中心としてすべてのものを清算するのではなく、すべて連結しなければなりません。ですから、昔、独りで修道の生活をしていたときの努力ではいけません。「昔、努力したときの何倍以上も努力しよう」という決意と覚悟を加えなければなりません。
悪に対して挑戦していく生活は、ややもすると疲れて後退しやすいのです。家庭をもったときは、独りのときの何倍も努力しなければなりません。家庭は中心をつかむ場です。私たちは、現実を避けることはできません。前後、左右、上下の関係を家庭で築かなければならないのです。ですから、過去の信仰形態ではいけません。過去の一方的な信仰態度でも駄目なのです。祝福は、死ぬか生きるかの決定点です。

陽暦2016年12月4日


天一国食口礼拝
天一国四年天暦11月6日 (陽暦2016年12月4日)

主礼:佐保田暁夫教会長
「 精誠により切り開かれた道 」

「 天一国經典 天聖經 第十二篇 第四章 第三節 P・1368 第十三篇 第三章 第二節 P1537~1539 」

未来を約束する蕩減
神様の摂理歴史は、蕩減を経なければ発展がありません。 蕩減は悪いことばかりではないのです。未来を約束してくれるからです。蕩減復帰摂理は、簡単に完成するものではなく、段階的に蕩減を払っていかなければ、発展していかないというのです。歴史始まって以来、その当代において「すべて成し遂げた。神様を解放してさしあげ、私が完成、完結、完了した。今から摂理歴史は新しく出発する」と宣布して天命を完遂された方が、この世の中にいたでしょうか。皆さんは今、摂理の中心に立っています。祝福された位置だというのです。(2012.11.24)

精誠と祈祷生活
真のお父様は、数多くの漢字の中からたった一字だけ選ぶとすれば、「誠」の字を挙げられるというほど、精誠の重要性を強調された。精誠とは、み言を生活の中で成し遂げることである。それが、天を感動させ、人を感化させることのできる信仰生活の基本となるからである。真の父母様は、精誠を尽くす人や、精誠を尽くした物を、常に何よりも貴く思われた。そして、祈れば神様が必ず成就してくださるという信念をもって祈ることと、祈りに先立って実践することを強調された。
精誠を尽くすことができない人は、弁明が多いのです。精誠を尽くす人は、度数をより大きくして尽くすべきことがいくらでも残っているので、弁明できないというのです。ですから、神様は沈黙を守ります。創世以来、今まで一言も語らず、精誠を尽くしているのです。神様は、全体のために、どんな存在とも関係を結んでいないものはないと言える位置に立つために、低い世界がより高い世界に進めるよう、今もさらに多くの精誠を尽くし、さらに多くの忠誠を尽くしているというのです。
今、父母様が行く道も、それと同じです。いつも新たに出発するというのです。それは、新しい精誠が加重されなければならないということです。そこには敗者の悲しみが伴うことはありません。勝者の喜びだけが伴うのです。(1996.2.18)



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